上越市くわどり市民の森Joetsu KUWADORI Community Forest

お申し込み・お問い合わせ
MENU
前のページへ戻る

市民の森とは

市民の森今昔物語

桑取谷・西谷内(にしやち)集落の里山であったこの場所は、かつて稲作と炭焼きを生業とする人々の暮らしを支える場所でした。田んぼ仕事に欠かせない牛や馬を引き連れて、毎日通ったこの山は、豊かな湧水と肥沃な土壌のため、収量は少ないが、美味しいお米が獲れたそうです。また、桑取谷は良質の炭の産地としても有名で、上杉謙信公の時代より春日山城に供出していました。

高度経済成長期に入ると、若者は都市に仕事を求めて出て行くようになり、農山村の生業の形態は根本から変わりました。里山として使われなくなった後は、「湖畔の家」という小料理屋が営業されるなど事業化の試みがなされました。平成に入ると、ゴルフ場建設計画が持ち上がりましたが、名立川・桑取川水系は上越市の上水道の半分以上をまかなう重要な水源であったため、市民および桑取谷の各種団体からの大きな反対運動が起こりました。その結果ゴルフ場建設計画は白紙に戻りました。そして、建設予定地の水源林は上越市が買い取り、「水道水源保護条例」を制定し、平成14年4月29日に「上越市くわどり市民の森」として開園しました。

昭和30年頃 市民の森管理棟周辺

現在 市民の森管理棟周辺